2008年 10月 08日
私のブラジル物語① |
1977年(昭和52年)から主人の転勤に伴い、6年間ブラジルのジュンジャイに暮らしました。
ジュンジャイはブラジルの最大都市:サン・パウロから車で1時間(約120キロ)のところにある、穏やかな近郊都市です。
そこに、大規模な圧延工場が造られ、技術指導や稼動経営を指導するため、主人を含め、おおぜいの日本人スタッフと家族が住んでいました。
私は家族の第一陣として主人が探してくれた,家に落ち着きました。
その後、ジュンジャイに二十数家族、サン・パウロにも十数家族を迎えました。
家は大きな川に面した典型的なブラジルスタイルの家です。
間口が狭く、奥に長く、奥には中庭があります。東西に開口部があり、南北に窓の無い日当たりの悪い、涼しい家です。
ブラジルでは北向きの日当たりの良い家は、熱すぎて住めません。
写真は我が家の前です。向かって右は隣の若夫婦。私の直ぐ右は、反対隣の住み込みのお手伝いさん。彼女はシングルマザーです。
お隣は奥様は亡くなられて、ご主人と娘家族がすんでいました。
私はこの一ヵ月後、次男を出産しています。
住んで間もなく、両隣が意味も無く(言葉が理解できず?)家に招き入れて、「ここがリビング、ここがキッチン・・・。」と、見せてくれるのです。こうすることが“親愛のしるし”だと後で知りました。
渡伯した時には買い物がやっと出来るくらいのブラジル語でしたが、後に語学学校に通い、日常会話が出来るようになると、ブラジル生活は第2の故郷になるまでに、なじんでいきました。
by table-harmony
| 2008-10-08 23:47
| ブラジルの思い出