2013年 11月 03日
⑮ 漁師の網から生まれたレース刺繍の島:ブラーノ島 |
ヴェネチアのブラーノ島はレース刺繍発祥の地として世に知られています。
16世紀、ヴェニス商人によって、ヴェネチアンレースとして、ヴェネチアンガラスと共に
ヨーロッパ各地に輸出され、巨万の富を得ていました。
現在のブラーノ島はカラフルな可愛い家を楽しみ、レースのお店で、
お土産を求める大勢の観光客でにぎわっています。
現在はハンドメイドのレースに代わる物が主流です。
それでもアンティークレースは「レース博物館」で、見ることが出来ます。
元レース編みの工芸学校が博物館になっています。
休館日が今年から変更になっていて入れませんでした。本当にガッカリしました。
(ガイドブックに頼っていてはダメですね)
夢あふれるお店
2階がレースの博物館になっています。
かなりのアンティークレースを受け継がれています。
広いモダンな空間。ガゼボがお洒落です
4代にわたってレース編みの技術を継承していらっしゃるエミリアさんのお店
こちらも2階はアンティークレースの博物館になっています。
ヴェネチアン・レースの数々。ハンドメイドではありません。
左のマダムがエミリアさん
レースコレクションの話に花が咲き、レースの扇をプレゼントされました。
私が買ったのは麻のストライプクロスですが、4,5年前にウンブリア地方で
買ったものと縫製が全く同じです。
ハンドメイドのベネチアンレースは目が飛び出るほど高価で、手が出ません。
お土産として求められるのは、ほとんどが輸入品のようです。
ヴェネチアが繁栄した16世紀、壊れやすいヴェネチアんガラスに変わるものはないかと
ヴェネチア商人は考え、夫が漁に出っている間、女たちがレースを作っているのに目をつけました。
当時、宝石のように美しく繊細なレースは富と権力の象徴であり、
王侯貴族たちには必需品となったのです。
ムラーノ島のガラス職人が島の外に出られなかったように、
ブラーノ島のレース技術が漏れないように、島に閉じ込められた時代もあったようです。
その結果、ヴェネチアはヴェネチアンガラスとヴェネチアンレースにより、巨万の富を得たのでした。
19世紀になるとヨーロッパにおいてもレースの技術が進み
ヴェネチアンレースのブームがすたれて行きました。
後にレースの技術を伝える学校が出来ましたが、続かず、
今では作品が作れる人はごくわずかになり、ほとんどが高齢者の方々だそうです。
メジチ家からフランス国王へ嫁いだ際にヴェネチアンレースが伝わり、
ポンパドール夫人や、マリー・アントワネットにも愛好され、
宝石に匹敵されるレースは フランス革命の一因になったとも言われています。
家庭画報10月号、時計の広告にヴェネチアンレースが使われています。
本物は『銀座和光』で取り扱っています。
16世紀、ヴェニス商人によって、ヴェネチアンレースとして、ヴェネチアンガラスと共に
ヨーロッパ各地に輸出され、巨万の富を得ていました。
現在のブラーノ島はカラフルな可愛い家を楽しみ、レースのお店で、
お土産を求める大勢の観光客でにぎわっています。
現在はハンドメイドのレースに代わる物が主流です。
それでもアンティークレースは「レース博物館」で、見ることが出来ます。
元レース編みの工芸学校が博物館になっています。
休館日が今年から変更になっていて入れませんでした。本当にガッカリしました。
(ガイドブックに頼っていてはダメですね)
夢あふれるお店
2階がレースの博物館になっています。
かなりのアンティークレースを受け継がれています。
広いモダンな空間。ガゼボがお洒落です
4代にわたってレース編みの技術を継承していらっしゃるエミリアさんのお店
こちらも2階はアンティークレースの博物館になっています。
ヴェネチアン・レースの数々。ハンドメイドではありません。
左のマダムがエミリアさん
レースコレクションの話に花が咲き、レースの扇をプレゼントされました。
私が買ったのは麻のストライプクロスですが、4,5年前にウンブリア地方で
買ったものと縫製が全く同じです。
ハンドメイドのベネチアンレースは目が飛び出るほど高価で、手が出ません。
お土産として求められるのは、ほとんどが輸入品のようです。
ヴェネチアが繁栄した16世紀、壊れやすいヴェネチアんガラスに変わるものはないかと
ヴェネチア商人は考え、夫が漁に出っている間、女たちがレースを作っているのに目をつけました。
当時、宝石のように美しく繊細なレースは富と権力の象徴であり、
王侯貴族たちには必需品となったのです。
ムラーノ島のガラス職人が島の外に出られなかったように、
ブラーノ島のレース技術が漏れないように、島に閉じ込められた時代もあったようです。
その結果、ヴェネチアはヴェネチアンガラスとヴェネチアンレースにより、巨万の富を得たのでした。
19世紀になるとヨーロッパにおいてもレースの技術が進み
ヴェネチアンレースのブームがすたれて行きました。
後にレースの技術を伝える学校が出来ましたが、続かず、
今では作品が作れる人はごくわずかになり、ほとんどが高齢者の方々だそうです。
メジチ家からフランス国王へ嫁いだ際にヴェネチアンレースが伝わり、
ポンパドール夫人や、マリー・アントワネットにも愛好され、
宝石に匹敵されるレースは フランス革命の一因になったとも言われています。
家庭画報10月号、時計の広告にヴェネチアンレースが使われています。
本物は『銀座和光』で取り扱っています。
by table-harmony
| 2013-11-03 16:28
| 2013.ヨーロッパ5か国巡り