2008年 05月 20日
暮らすような旅 2008 スペイン編 ⑨ |
最後のイスラム王朝が栄えたグラナダ
紀元前5世紀ごろ、ローマ帝国支配下の都市としてはじめて現れたグラナダは、イスラムの支配下に入った8世紀以降も発展を続けました。
13世紀、ナスル朝グラナダ王国の建国によって繁栄は絶頂期を迎えます。
この頃、アルハンブラ宮殿の建築が始められ、その後、15世紀末までの約250年間経済、文化、芸術などの分野で隆盛をきわめました。
1492年、キリスト教徒の手に落ちるものの、その後もずっとイスラムの影響が色濃く残されています。
グラナダは万年雪を頂くシェラ・ネバダ山脈を背に、二つの丘と市街地とを抱いています。南の丘にはアルハンブラ宮殿。もう一つの丘には、白い壁が連なる昔のアラブ人居住区:アルバイシン。そして大聖堂と王室礼拝堂のある市街地です。
現在のグラナダは「スペイン人が訪れたいスペインの街ベスト2」にもなっている人気の観光都市です。
・・・・アルハンブラ宮殿・・・・
イベリア半島に800年続いたイスラム教支配の最後の地。その最終章の栄華を伝える
イスラム建築の最高峰です。
宮殿は透かし彫りの窓や天井の明り取りからこぼれる「光」・・・・。
北アフリカから来た砂漠の民が求めた流れる水路や噴水の「水の音」・・・
涼を誘う白や青のタイル、化粧漆喰に表された信仰心からの「アラベスク模様」・・・・
イスラム芸術の結晶は永遠に過去の栄華を未来に伝えていくことでしょう。
ほの暗い宮殿の内から外に目をやれば、ハット息を呑むアルバイシン地区。洞窟がみえますか?これがジプシーの住まいで、現在でも住居として使われています。
「天人花の中庭」
ライオンの中庭宮殿
中庭は工事中で、ライオンの噴水はありませんでした。
壁面とアーチに彫り込まれたアラベスク模様
国王の威信と神性を表す「大使の間」
イスラム教では偶像崇拝が禁じられており、モチーフとなっているのは木々や花、果実などです。そして、アラビア文字でコーランの一説を表しています。
宮殿内は欲望、嫉妬、敵がい心が渦巻く世界でもありました。
血塗られた悲劇はいくつも残されています。
鍾乳石飾りが施された「二姉妹の間」。 透かし彫りの窓から差す光で宝石のように輝きます。ここは寵妃用の夏の住居でであった・・・・という説も。
当時のハーレムでは、大理石の床に横たわって優雅なときを過ごしました。そのため天井装飾に凝りました。
アッ!世界遺産に鳩が・・・・・ 天井は寄木細工です。
キリスト教徒に明け渡された後、荒廃していきますが、再び注目されるようになったのは19世紀、アメリカの外交官:アーヴィングが「アルハンブラ物語」で、イスラム芸術の美と、まつわる伝承を再発掘したことです。
また、哀愁を帯びたトレモロで愛されている「アルハンブラの思い出」も一般に広く知られるところとなりました。
ちなみに、私がマンドリンで唯一練習したのが「アルハンブラの思い出」でした。
さあ!それでは次のフェネラリーフェ離宮へ参りましょう。
歩いて15分です。
宮殿入場チケットの入手法
ナスル宮殿は30分ごとの入場制限があります。チケットに明記されている時間内に入場しないと無効になります。 当日券は8:00から販売ですが、長蛇の列で、お昼ごろには完売することも多いそうです。
事前予約がおすすめです。 私はネットで直接アルハンブラ宮殿に申し込みました。
英語とスペイン語があり、「同意する」の意味が分からなかったのですが、何度も挑戦しているとできました。 カード予約で、画像をプリントすればOKです。
当日、午後4:00~4:30の予約なのに,気が付いたらすでにに3:40で、あわてふためいてチケット売り場に急ぎました。 何故って、「チケット売り場からナスル宮殿まで20分掛かる」と口コミサイトに出ていたものですから。 何とかセーフで並んでいると、4:30までに並べばいいのが分かりました。
・・・入場するのに並んでいるところです・・・
当日券のチケット売り場は10mぐらいの列ができていましたが、予約販売は自動販売機なので、誰も並んでいませんでした。前の人を見習って操作すると買えました。
紀元前5世紀ごろ、ローマ帝国支配下の都市としてはじめて現れたグラナダは、イスラムの支配下に入った8世紀以降も発展を続けました。
13世紀、ナスル朝グラナダ王国の建国によって繁栄は絶頂期を迎えます。
この頃、アルハンブラ宮殿の建築が始められ、その後、15世紀末までの約250年間経済、文化、芸術などの分野で隆盛をきわめました。
1492年、キリスト教徒の手に落ちるものの、その後もずっとイスラムの影響が色濃く残されています。
グラナダは万年雪を頂くシェラ・ネバダ山脈を背に、二つの丘と市街地とを抱いています。南の丘にはアルハンブラ宮殿。もう一つの丘には、白い壁が連なる昔のアラブ人居住区:アルバイシン。そして大聖堂と王室礼拝堂のある市街地です。
現在のグラナダは「スペイン人が訪れたいスペインの街ベスト2」にもなっている人気の観光都市です。
・・・・アルハンブラ宮殿・・・・
イベリア半島に800年続いたイスラム教支配の最後の地。その最終章の栄華を伝える
イスラム建築の最高峰です。
宮殿は透かし彫りの窓や天井の明り取りからこぼれる「光」・・・・。
北アフリカから来た砂漠の民が求めた流れる水路や噴水の「水の音」・・・
涼を誘う白や青のタイル、化粧漆喰に表された信仰心からの「アラベスク模様」・・・・
イスラム芸術の結晶は永遠に過去の栄華を未来に伝えていくことでしょう。
ほの暗い宮殿の内から外に目をやれば、ハット息を呑むアルバイシン地区。洞窟がみえますか?これがジプシーの住まいで、現在でも住居として使われています。
「天人花の中庭」
ライオンの中庭宮殿
中庭は工事中で、ライオンの噴水はありませんでした。
壁面とアーチに彫り込まれたアラベスク模様
国王の威信と神性を表す「大使の間」
イスラム教では偶像崇拝が禁じられており、モチーフとなっているのは木々や花、果実などです。そして、アラビア文字でコーランの一説を表しています。
宮殿内は欲望、嫉妬、敵がい心が渦巻く世界でもありました。
血塗られた悲劇はいくつも残されています。
鍾乳石飾りが施された「二姉妹の間」。 透かし彫りの窓から差す光で宝石のように輝きます。ここは寵妃用の夏の住居でであった・・・・という説も。
当時のハーレムでは、大理石の床に横たわって優雅なときを過ごしました。そのため天井装飾に凝りました。
アッ!世界遺産に鳩が・・・・・ 天井は寄木細工です。
キリスト教徒に明け渡された後、荒廃していきますが、再び注目されるようになったのは19世紀、アメリカの外交官:アーヴィングが「アルハンブラ物語」で、イスラム芸術の美と、まつわる伝承を再発掘したことです。
また、哀愁を帯びたトレモロで愛されている「アルハンブラの思い出」も一般に広く知られるところとなりました。
ちなみに、私がマンドリンで唯一練習したのが「アルハンブラの思い出」でした。
さあ!それでは次のフェネラリーフェ離宮へ参りましょう。
歩いて15分です。
宮殿入場チケットの入手法
ナスル宮殿は30分ごとの入場制限があります。チケットに明記されている時間内に入場しないと無効になります。 当日券は8:00から販売ですが、長蛇の列で、お昼ごろには完売することも多いそうです。
事前予約がおすすめです。 私はネットで直接アルハンブラ宮殿に申し込みました。
英語とスペイン語があり、「同意する」の意味が分からなかったのですが、何度も挑戦しているとできました。 カード予約で、画像をプリントすればOKです。
当日、午後4:00~4:30の予約なのに,気が付いたらすでにに3:40で、あわてふためいてチケット売り場に急ぎました。 何故って、「チケット売り場からナスル宮殿まで20分掛かる」と口コミサイトに出ていたものですから。 何とかセーフで並んでいると、4:30までに並べばいいのが分かりました。
・・・入場するのに並んでいるところです・・・
当日券のチケット売り場は10mぐらいの列ができていましたが、予約販売は自動販売機なので、誰も並んでいませんでした。前の人を見習って操作すると買えました。
by table-harmony
| 2008-05-20 23:11
| アンダルシア